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プロジェクトリーダーから(TRONWARE VOL.93)

ユビキタスは大事に育てよう

 ここ数年、ユビキタス・コンピューティングやユビキタス・ネットワーキングに注目すべきだと、日本のみならず世界に向けてプロモーションしてきた。TRONプロジェクトそのものが、「どこでもコンピュータ(Computing Everywhere)」を開発の目標に据え「将来は生活空間のいたるところにコンピュータがあふれる」と20年以上前から主張していたのに加え、さまざまな要素技術がかなり成熟してきて、その構想を実現できる機運が高まってきたからである。

 では、技術的にはチップの安定性など課題はあるにしろしばらくたてば解決してすんなりと実用化するか――というと、そうもいかない。TRONプロジェクトにおいても、当初より実証実験の重要性を強調していたが、今ではさらに強く実証を行うべきだと思うようになっている。新しい技術に対して期待ばかりが先走り、現在は地道に問題点を解決しなければならないフェーズなのに、そこを無視して無謀な要求をする例があまりに多いからだ。

 典型的な例がRFIDを物流分野のサプライチェーンマネージメントへ使う応用。確かに商品の欠品を防ぐことができ棚卸しの手間が省けるなど、ユビキタス系技術の応用では最もわかりやすい。電波で10mくらい遠くから同時に何百個のタグを読み取れる安価なパッシブ型RFIDがあれば、革新的な流通システムが作れるだろうというイメージはわかる。だがパッシブ型のタグは電力の供給をリーダ/ライタからの電波で行うため、距離を伸ばすためには幾何級数的に強い電波が必要になる。普通使える電波では微少電力しか得られず動作に制約がある上に、外部ノイズとぎりぎりのところで戦っている。到達距離の長い900MHz帯といっても、単に回り込みの性能がいいだけで、かえって他のリーダ/ライタと干渉したり、乱反射した電波がゴーストのように読み取りを妨害したりする。タグを貼り付けたものの誘電率の問題や、他のタグとの干渉などの問題もある。また、すでに生活空間には多くの電波が飛び交っている。結果、理想的な電波暗室の中では問題がないチップが、実際に現場で試してみるとぜんぜん読めないなどということになる。

 このような現場の条件と技術の限界を真摯に考えるなら、運用面でフォローをしてやらないと現時点では実用にならないことに気がつくべきだ。初期に言われたダンボール箱の中の商品を一度に読み取るなどは夢のまた夢。それはさすがにウォルマートもあきらめたようで、最近はダンボール箱単位の読み取りしか考えていないようだが、その状態でも900MHzのタグは推進派のウォルマートでの実験でさえ現場ではせいぜい6割くらいしか読めないという報告である。これでは別の方法で商品の数え直しが必要になることを意味し、商品の抜き取り監視以外の目的では、まず実用にならない(抜き取り監視なら読めていたタグが消えることで警告を出せばいい)。

 確実性が高いが低価格化しにくい13.56MHzの大型タグを付けた再利用前提の物流箱と、読み取り条件は厳しいが低価格化できる2.45GHzの超小型タグを個品に付け、ネットワークで紐付けして管理するというハイローミックスの運用が現時点では最も現実的であるが、900MHz信仰の方々にはその声も届かないようだ。

 また運用面だけではなく、技術的問題が解決したとしてもビジネスモデルが確立されているわけでもない。タグの費用などを誰が負担するかの答えを出すのには別のアプローチが必要だ。だが、これについても900MHz信仰の方々は、900MHzタグですべてのタグ需要を統合できれば価格が果てしなく下がるといった夢物語で思考停止しているように見受けられる。900MHzタグ自身が悪いとは思わないが、「タグは1種類でなければいけない」「900MHzでなければいけない」というあまり根拠があるとは思われない決めつけに対しては、反対せざるをえない。原点に戻って、「いったい何がやりたいのか」「それに対して最も優れた技術と運用のバランスはどこか」といった正攻法で問題を解決していくべきだ。「推進側の意気込み」とか「年商が大きいから納入業者に強い姿勢で命令できる」とかというのではうまくいかないのではないだろうか。さらに、その他人の思い込みを勝ち馬と思い込んで、思考停止するのはいかがなものか。他人が決めた目標を盲目的に目指すことのリスクは、いつのまにか相手が考えを変えていてゴール自体がなくなってしまうことだ。「勝ち馬に乗る」でうまく乗れるなら良いが、当の米国からさえ「すでに自分たちの捨てたゴールに盲進している迷惑な連中」ととられるのでは情けない。関係者は早く目を覚ましたほうが良いと思う。他人事とはいえ、気の毒だとしか言いようがない。自分の頭で考えるべきなのだ。今回は向こうもいささか盲信気味だが、本来米国のすごいところは自分の頭で考える人が多いこと。それによりダメだと思えば、一部の人の意地や面子を切り捨てても組織としてすばやくゴールを切り替える――その現実主義を見習うべきだ。

 そもそも、すべてパッシブ型だけで考える必要もない。要は適材適所。たった数mの到達距離を得るのにも、パッシブ型では900MHz帯でも数Wの高出力型リーダ/ライタが必要で、これはアンテナ近辺に人が長期近づくのは危険というぐらい高いレベルだ。だが最近私たちが発表した微弱無線を利用したアクティブ型タグは、その数万分の1程度と電波出力が非常に弱くても、到達距離10m、アンチコリジョン1000個ぐらいは容易に実現できる。アクティブ型は電池交換が問題だが、長寿命電池の性能も上がっているしコストもこれから下がる。太陽電池や振動発電などの自律電源との組み合わせも可能だ。応用に適した適切な技術を開発することが重要であることを肝に命じたい。

 学問に王道はないというのと同じで、新しい技術は確証されてから一歩ずつ進んでいく。最近繰り返し言っているように、2002年を元年とすれば10年後の2012年ごろまで待たないと技術は成熟し安定しないと思う。ユビキタス・コンピューティングは、コンピュータサイエンスの中でも近年まれに見る可能性と応用範囲の広い技術であるが、まだまだ発展途上だ。こういうものが「狼が来た」というようなノリで、IT業界の一時の飯の種に成り下がってしまっては非常に残念だ。かつてない少子高齢化の道を先頭を切って進んでいる日本――そして、日本に続く国々――にとって、単なる便利・快適を超えて、生き残りの鍵になるかもしれない大事な技術だ。だからこそ大切に育てたい。世界の動きを見ていると、私たち――T-EngineフォーラムならびにTRONプロジェクト――はユビキタス・コンピューティングで世界に貢献できることを信じているし、そのような活動をこれからも続けていきたいと考えている

坂村 健